ピアノの進化

1.エラールのレペティションレバー

 1809年、フランス人のピエールエラールはフランス革命前にイギリスに渡って当時のピアノに多くの改良を加えました。中でもレペティションレバーが最高の発明です。これは鍵盤の動作をハンマーに伝えるジャックを、素早く始動位置に復帰させることにより高速な連続打鍵を可能にするものです。その後1821年、改良を加えダブルレペティションが完成します。これにより、打鍵した鍵盤を完全に始動位置に復帰させることなく、次の打鍵を行うことができます。エラールの発明はグランドピアノのために開発されました。
 1811年、ロバートワーナムはバックチェック、ブライドルテープを発明しました。構造上アップライトピアノにレペティション機構は採用できなかったので、これらの機構の採用によりアップライトピアノは飛躍的に演奏能力を高めました。今でもこの技術はアップライトピアノに採用されています。

 またこの頃に生まれた有名な作曲家は、1810年生ショパン、シューマン 1811年生リストがいます。1824年にリストはエラールのピアノを演奏しています。

2.バブコックの鋳鉄フレーム

 1825年、アメリカのボイラー工場経営者アルフェーズバブコックは本格的な鋳鉄製フレームを作りました。当時のピアノの音域は演奏者の要求から、4オクターブから次第に5オクターブ、6オクターブと増えていき、鉄線や真鍮線であっても木製の支柱だけではその張力を支えきれなくなっていました。結果、ブロードウッドは鉄骨で補強しバブコックは鋳鉄製フレームを考案したのです。

3.ダイヤモンドダイスと鋼鉄弦

 1819年、ダイアモンドダイスが発明され、1835年に精度の高い鋼鉄線が発明されると、ピアノに採用されました。そうなると、張力10kgの鉄線のピアノ弦よりも張力80kgの鋼鉄線のピアノ弦のほうがはるかに音量も大きく倍音も豊かで、もはや鋳鉄製フレームでなければピアノの全張力を支えることはできなくなりました。

4.チッカーリングの総鉄骨フレーム

 1840年、チッカーリングはグランドピアノ用の総鋳鉄製のフレームを考案しました。現在のピアノと同じようにチューニングピン部分のプレートとアグラフブリッジを一体化したものでした。これはバブコックのスクエアピアノ用鋳鉄フレームとは違い張力を計算に入れた本格的なものでした。

 1845年、チッカーリングはスクウェアピアノに交叉式弦を発明しました。演奏者の要求に伴い、6オクターブ以上の音域になったピアノの低音域の弦の長さはもはや、ピアノ本体に収まりきれない長さになっていました。そこで低音の弦を斜めに張ることによりピアノ本体の大きさを小さくすることが可能になりました。また、アップライトピアノでは背の高さを低くしてコンパクトすることが可能になりました。その後トーマスラウドがグランドピアノに採用しました。

5.アップライトピアノの普及

 産業革命がピアノにもたらした変化は、アメリカで大量生産による低価格化とアップライトピアノの市民への普及でした。キンボール、ボールドウィンなどが低価格で良質なアップライトピアノを大量に生産していました。

6.スタンウェイの発展

 第二次世界大戦によりヨーロッパは荒廃し、ドイツなどのピアノメーカーは生産休止に追い込まれていました。しかし、戦勝国のアメリカにあるスタンウェイだけは戦後も生産を続けられたことにより、コンサートグランドピアノの分野においては一人勝ちの状態になりました。

(Yama)


現代ピアノの完成

1.スタインウェイの2重巻線

 1849年、ドイツからアメリカに移住したスタインウェイ一族は1853年、ニューヨークでアップライトピアノの製作を開始しました。その後1856年グランドピアノの製作を開始し、1859年に低音部の巻線の軟銅線を2重に巻くことによって弦長を短くおさえることに成功しました。この頃には現代のピアノと同じ7オクターブ1/4、ペダル2本のピアノが製作されて いたことでしょう。その後、第二次世界大戦で被災することなく生産を続けられたことにより世界シェアを独占し、スタインウェイのピアノは世界中の一流ピアニストに愛され続けています。

2.主なピアノメーカー

 この頃の他のピアノメーカーを見てみると

1794年 イバッハ(ドイツ) ピアノ製作開始
1807年 プレイエル(フランス) ピアノ製作開始
1819年 ザウター(オーストリア) ピアノ製作開始
1828年 ベーゼンドルファー(オーストリア) ピアノ製作開始
1849年 ザイラー(ドイツ) ピアノ製作開始
1853年 ブリュートナー(ドイツ=ライプツィヒ) ピアノ製作開始
1853年 グロトリアン(ドイツ) ピアノ製作開始
1853年 ベッヒシュタイン(ドイツ=ベルリン) ピアノ製作開始
1857年 キンボール(アメリカ) 創立
1859年 ボールドウィン(アメリカ) 創立
1880年 スタインウェイ ハンブルグでピアノ製作開始
1885年 シンメル(ドイツ) ピアノ製作開始
1887年 ヤマハ(日本) 創立

といった現在の主要メーカーが誕生しました。

3.日本のピアノメーカー

ヤマハ

 1887年
(明治21)、静岡県浜松市に住む宮大工「山葉 寅楠」氏は浜松小学校の足踏みオルガンの修理を依頼され、成功したことによりオルガン製作を開始しました。その後1900年(明治33)に国産第一号となる「ヤマハカメンモデル(アップライトピアノ)」を完成させました。その頃はまだ、部品を海外から輸入して組み立てていました。
その後、日本楽器製造(ヤマハ)は1902年(明治35)にグランドピアノの製造を開始。
 1926年(大正15)、ベッヒシュタインの技術者「エール・シュレーゲル」氏を招請し技術指導と製品改良着手。同年に労働争議が起き、1927年(昭和2)に「川上 嘉市」氏が社長に就任。科学的なアプローチで合理化に着手。
 1950年(昭和25)、戦後生産を再開した日本楽器は「川上 源一」氏が社長に就任。コンサートグランドの製造を指示。
 1967年(昭和42)、コンサートグランド「CF」の完成。

カワイ

 河合楽器は1927年(昭和2)、創業者「河合 小市」氏が日本楽器を退職後、「河合楽器研究所」設立。
天才と呼ばれた小市氏を慕って日本楽器の技術者が次々と退職(平出幸太郎氏、県松太郎氏、伊藤勝太郎氏、斉藤哲一氏、森健氏、杉本義次氏、青木金吉氏など)し、1928年(昭和3)グランドピアノ製造開始。1929年(昭和4)「河合楽器製作所」と改称しました。
 小市氏の名声知る楽器販売店が次々と取引を希望し、業績は年々大幅に増大。
 1952年(昭和27)、小市氏が亡くなると娘婿の「河合 滋」氏が社長に就任。事業を大幅に拡大していく。
 1980年(昭和55)グランドピアノ専門工場「河合楽器竜洋工場」が完成。
 1981年
(昭和56)カワイフルコンサートグランド「EX」生産開始。

1887年 「山葉 寅楠」がオルガン製作を開始。
1900年ヤマハカメンモデル(アップライトピアノ)」を完成。
1927年 「河合 小市」が「河合楽器研究所」設立。
1948年 「大橋 播岩」浜松楽器工業を馬淵真蔵氏と創設。名機、「デアパソン」を製造。
1948年 東洋ピアノが創立。
1950年 ヤマハ、コンサートグランドの製造を開始。
1950年 鈴木金属、国産ミュージックワイヤの開発を開始。
1952年 鈴木金属、国産ミュージックワイヤの量産開始。
1958年 大橋ピアノ研究所が創立。
1967年 ヤマハコンサートグランド「CF」の完成。
1979年 ミュージックワイヤのオール国産化開始。
1980年 グランドピアノ専門工場「河合楽器竜洋工場」が完成。
1981年 カワイフルコンサートグランド「EX」生産開始。
 


日本のクラフトマン達

1.日本のクラフトマン達

河合小市

 11歳で山葉風琴製造所に入所。小市の才能が寅楠や養子の直吉の指導を吸収し、やがて「発明小市」と呼ばれる。 そして、輸入に頼っていたピアノアクションの製作に成功。寅楠は小市の手を、深い感動をもって握りしめたという。小市の門下で多くの技術者が育っていった。
昭和2年(1927)、「日本楽器製造株式会社」から独立した河合小市により、寺島町に「河合楽器研究所」が設立。
ピアノの製造を開始。1929 年「河合楽器製作所」と改称。1935年、「合名会社 河合楽器製作所」に改組。
 1952年(昭和27)、胆石を患い死去。


大橋播岩(オオハシ ハタイワ)

 1909年(明治42)、13歳で日本楽器に入社。1914年(大正3)小市の下で才能が開花。小市と並び称される存在になる。1926年(大正15)来日したベッヒシュタインの技術者「エール・シュレーゲル」氏の下でその技術に磨きをかける。1927年(昭和2)には29歳の若さでピアノ部次席に昇格。
 1936年
(昭和11)川上嘉市社長の低コスト、大量生産の方針に反発して退職。乞われて小野ピアノに入社。ホーゲルブランドのピアノを設計、製作。
 1948年
(昭和23)、浜松楽器工業を馬淵真蔵氏と創設。名機、「デアパソン」を製造。
 
1958年(昭和33)同社が河合楽器製作所に吸収合併されると退職し、同年「大橋ピアノ研究所」を創設。
 1977年(昭和52)静岡県知事より「現代の名工」として表彰される。1980年(昭和55)没。


石川隆己

 1934年(昭和9)、日本楽器、河合楽器製作所で研鑚を積み三様楽器を創設。
 
1948年(昭和23)に東洋ピアノを製造を創設。
 日本の技術者の中で唯一、製作したピアノに自身の名前を付けず「アポロ」と命名。その謙虚な性格は多くの人々に愛された。


杵淵直知

 1947年(昭和22)、大学を卒業と同時に委託生として日本楽器に入社。
 1961年
(昭和36)単身ドイツへ渡り、グロトリアンとスタンウェイで修行する。
 1964年(昭和39)、東京ピアノ工業(イースタン)の技術顧問としてピアノ製作に従事。
 1979年(昭和54)、脳溢血のため死去。

西川虎吉氏(西川ピアノ)、杵渕直都氏(杵渕ピアノ)、松本新吉氏(松本ピアノ)、屋代千里氏、小野三郎氏(小野ピアノ)、福山松太郎氏(フクヤマピアノ)、広田栄太郎(広田ピアノ)氏など。詳しくは日本のピアノ系譜を参照。

(Tanaka)